Feb 09, 2009
海外旅行保険は、インターネットで申し込みができます
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菅直人首相は8日午前、長崎市で開かれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席し、犠牲者の冥福を祈った。6日の広島市での式典と同様に今後のエネルギー政策に触れ、「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく」と再び慰霊とは直接関係のない「脱原発依存」を訴えた。
首相はあいさつで、東京電力福島第1原発事故について「早期収束と健康被害防止に向け、あらゆる方策を講じてきたが、いまなお多くの課題が残されており、今後とも全力をあげて取り組む」と強調した。
そして、「エネルギー政策についても白紙からの見直しを進める」と持論を展開。「原子力についてのこれまでの安全確保に関する規制や体制のあり方について深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じる」と反省を示した。
また、核兵器廃絶に向けて「悲惨な実態を将来の世代に語り継ぐことはわが国が世界に果たす歴史的な役割」と指摘し、「核軍縮・不拡散教育に関する活動を世界に広げていく」と誓った。
あいさつ内容はおおむね広島での式典と同じだが、ところどころ「全く同じではいけない」(首相周辺)として表現などを変えた。首相は祈念式典後、核兵器の悲惨さを世界に発信する「非核特使」との懇談や長崎市の原爆養護ホーム慰問などを行う。
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振り込め詐欺事件の現金受け取り役として詐欺未遂罪に問われ、1審・東京地裁で無罪となった無職男性(30)の控訴審判決が9日、東京高裁であった。
小西秀宣裁判長は「被告は犯行の筋書きを知らされておらず、詐欺グループに利用された可能性を否定できない」として1審判決を支持、検察側の控訴を棄却した。
男性は昨年10月、氏名不詳の男の指示で東京都葛飾区の女性宅を訪れ、現金200万円をだまし取ろうとしたとして起訴されたが、一貫して「受け取るのは書類だと思っており、詐欺の認識はなかった」と主張していた。
検察側は控訴審で、男性名義の口座が過去に振り込め詐欺に使われていたことを示す証拠などを新たに請求したが、小西裁判長は全て却下し、判決で「いずれも1審で請求できた証拠で、立証の不備を控訴審で全面的にやり直すことを認めるのは相当でない」と述べた。
人に支えられ僕は今、生きている。前向きに生き、故郷の復興に尽くしたい−−。9日にあった長崎市の平和祈念式典の会場に、東日本大震災の津波で両親を亡くした岩手県立高田高3年、菊地将大(まさひろ)さん(17)=同県陸前高田市=の姿があった。菊地さんは今夏、スイスの国連欧州本部に核兵器廃絶署名を届ける第14代高校生平和大使の一人だ。長崎の被爆者の思いに触れ、同じ目標を持つ仲間とともに、平和と故郷の復興に向けて新たな一歩を踏み出した。
菊地さんは、両親と祖母、姉の5人家族だった。津波発生時は、祖母と菊地さんは自宅やその周辺に、四つ上の姉は盛岡市内にいて無事だったが、会社や農協で働いていた両親は波に巻き込まれ行方不明になった。「夕方になっても両親は戻らなかった。電気や水もなく、何も考えられなかった」
親戚宅に身を寄せたこともあったが、祖母と暮らしながら、自宅から避難所や遺体安置所を回って両親を捜す日々が続いた。安置所で両親に対面したのは3月下旬。ひつぎの窓からのぞいた時、涙があふれた。両親の死を受け止められず、もやもやとした気持ちが続いた。「死に顔を思い出すと悲しくて苦しかった」
5月中旬、高校の教師を通じて「平和大使」の打診を受けた。長崎市の市民団体「ながさき平和大集会」実行委員会が毎年、長崎県内外から選び、国連に派遣している。気持ちの整理はつかなかったが、面談した長崎の被爆2世、平野伸人さん(64)の話を聞き「大使として活動して前向きに生きよう。被災地代表としてできることをやろう」と応じた。
6月11日、平和大使の結団式に参加するため初めて長崎を訪れた。待っていたのは、10歳で爆心地から約800メートルで被爆した下平作江さん(76)だった。菊地さんが両親を亡くしたことを告げると、下平さんは、原爆の影響で家族4人を亡くしたことや放射線の影響とみられる病気で何度も手術した経験などを話した。「親子の絆が断ち切られるほど悲しいことはない。負けないで自分の道を切り開きなさい」と励ました。その言葉に、また、涙があふれた。「僕は一人じゃない」。もやもやが晴れた。
翌日は、他の大使とともに原爆落下中心地で献花、原爆資料館も見学した。
9日の式典。いつものように父親の形見の時計とタイピンを付けて参列した。「特別なことじゃありません。親も喜ぶと思って。式典には多くの人が参加していて、平和について考えている。ここで感じた思いをジュネーブでも伝えたい」
震災発生から5カ月になる。津波で浸水した校舎は使えず、隣の大船渡市にある廃校に通う。街のがれきは片付いたがいまだ手の回らないところもある。被災地代表の平和大使は17日、ジュネーブに向かい、現状報告と国際支援への感謝を伝える。【下原知広】
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